女子学習院

華族女子学校として、四谷区尾張町皇宮付属地に明治18年春に、校舎を建設し同年10月に仮授業が開始されました。当初生徒数は133名で、同年11月には開校式が挙行されました。明治22年7月麹町区永田町の御料地に移転し、同月18日に開校式が挙行されました。明治39年4月に、学習院に併合され学習院女学部と称される事になりました。明治45年2月女学部本館が焼失し、これを機会に青山練兵場跡地(現在の秩父宮ラグビー場付近)を借り入れ、大正7月7日新校舎竣工し、同年9月11日第2学期の始業式を挙行しました。新校舎への移転に関連して大正7年9月、学習院学生改正により、学習院女学部は女子学習院となり、11月14日開院式を挙行しました。
昭和25年5月25日に空襲により焼け落ちた為、同年6月5日豊島区目白の徳川義親邸を仮校舎とし、移転しました。


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